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2011年09月19日
杯
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にこんな場面がある。
土佐に遊説に来た水戸勤王派の志士に、坂本竜馬とおどけ者の馬太郎、唄上手の為やんの三人が会いに行く。
馬太郎と為やんはそれぞれ酒五升を背負って、水戸の二人が宿泊している庄屋屋敷まで道中十二里。
「なあ、坂本さんよ、水戸の住谷先生ちゅうのは、どのくらい飲むのかい」
田舎者の無智と純情さで、おどけの馬太郎などは、酒を飲ませることばかり考えていた。
一方住谷寅之介は、どれほどの論客が自分の前に現れるのであろうか、期待がある。
庄屋屋敷に三人が到着して、やがて酒席ができた。
「まあ、お一つ」
と、おどけの馬太郎は、徳利を近づけてきた。住谷は、酒がのめない。
「不調法でござる」
と断ったが、馬太郎も為乃介も、そんな生やさしいことわりで引きさがる男ではない。
むりやりに杯をもたせた。その杯ときたら、五杓は入りそうな、ばか大きな容器である。
「か、かような杯は」
と、すこしは酒がのめる大胡樋津蔵も、閉口したらしい。
「大胡先生は、いかほどお飲めになります」
「少々は」
「はあ、二升でござるか」
「いや、少々でござる」
「升々でござろう」
これが土佐の悪風である。遠来の客が酔いつぶれて血へどを吐きそうになったところを見とどけてから、
本夕の接待はうまくいった。
と安堵するのだ。
昨日、店のグラス棚に並んでいた「置けない杯」(=写真)をお客さんが見とめて、その杯の話をしていて、上のくだりを思い出した。
もうすぐマスターの誕生日。
土佐流に、この「置けない杯」で血へど吐くまで飲みますか。
参加者募集。。
この「竜馬がゆく」の話はこう続く。
酒は、土佐の佐川郷で吟醸される司牡丹である。土佐人ごのみの辛口で、一升半のんでから口中にやっとほのかな甘味を生じ、いよいよ杯がすすむという酒豪用の酒である。
この一節を読んで発奮したバカ学生時代、高知の友人に司牡丹を送ってもらって、ドンブリで呑んで血へどを吐いたね。
Posted by ダイヤス at 16:36│Comments(0)